震災後の日本と世界 2/2 ガバン・マコーマック ジョン・ダワー

2012-01-07 8

「沖縄の原則とは『 ぬちどぅ宝 』。沖縄の言葉で、命は尊いという意味です。これは武器や暴力を嫌う沖縄人の表現です」と語り、20年間沖縄へ通うとマコーマックさん。
「沖繩は、国家に抵抗する市民お民主主義の力を見られる場所です。
ここでは、県全体が抵抗しています。だから日本とアメリカという地球上で最も強大な2つの国が、この小さな県に対して政策をおしつけららないのです。私は、沖繩では人々が歴史をつくっていると思います」

普天間基地移設予定地辺野古沿岸部。キャンプシュワブゲート前で毎週訴える、建設業者の渡具知さん。
マコーマックさんの滞在中、北部東村高江では米軍ヘリパッド建設の強行がされようとした。高江を訪れるマコーマックさん。年間6000人の兵士がこの森で訓練を行っている。
1996年北部訓練場は部分的に返還されることに。ただし、ヘリパッドの機能を高江周辺に集中的に移転する条件付き。 それまで政治運動にかかわったことのない安次嶺さんらは現場から抵抗を続けてきた。
人口160人の高江を囲むように6つのヘリパッドを建設し、墜落の危険を伴うというオスプレイ配備も検討されている。(検討されているのでなく配備)市民運動などしたことのない住民が建設反対に座り込みを始めた。
守りたいのは自分たちの暮らしと自然。 彼らは国家レベルのの安全保障についえは語らない。 語るのはここは民主主義の国なのだから、 住民がいらないと言うなら新しい基地は要らないということ。
安次嶺さん「福島からの移住者がたくさんいる。 来たくても来れない人いっぱいいる。 原発を田舎のほうに建てて、絶対安全ですと言ってたのに地震でもろくも崩れた。 田舎の弱みにつけこむ、原発も基地も中身は一緒」
福島と沖縄、 国家の骨格作る時、官僚が決めたこと、 「東北を東京の消費のため原子力エネルギーの精算拠点にしよう。 沖縄は防御のための場所としよう」と。

 2011年は、3・11東北大震災と原発禍、9・11同時多発テロから10年、ソビエト連邦崩壊から20年という節目。日本の基盤を揺るがす災害事故や世界の枠組みが激変してゆく中で2012年が幕を開ける。
マコーマック氏は「日本と世界の未来を考える上で今最も重要な場所」を訪問。
日本と世界の未来に向けてグローバルスケールのメッセージを伝える。

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